会社ができて70年余り、4代目として跡を継がれていかがですか。
当社は、土産物の企画販売の事業を営んできたのですが、私は平成9年の大学卒業後に、全く畑違いのシステム開発会社に就職したんです。業界の景気も良く仕事にやりがいを感じていたのですが、先代の父がくも膜下出血で倒れてしまい、会社を支えなくてはと平成15年に専務として入社しました。
今だから言えることですが、当時、決算書が読めていたら、多分帰ってきていないと思います。財務状況は大変悪く、もう閉めた方がいいんじゃないか、というジャッジをしていたかもしれませんね。
どのように会社を立て直していったのですか。
当時、うちが扱っていた土産物は、ぬいぐるみやキーホルダーなど雑貨がほとんどで、食品はわずか数%でした。でも雑貨売上の限界も感じていましたし、業績を回復させるため、食品の可能性にかけようと思いました。
最初に取り組んだのが、ナショナルブランドのご当地菓子です。観光地で見かける、大手メーカーの商品にご当地のデザインをあしらった商品です。ただ、大手メーカーにとっては利益が薄いので、よほど見込みが立たないと製造してもらえません。そこで、メーカーに直接交渉したところ、まずはテストマーケティン
グとしてマスカット味のチョコレート菓子を出してくれたんです。これが幸いにもJR駅構内の店舗でかなりの売り上げを記録することができました。
その後、この事業は軌道に乗ったのですが、当時、異業種から転職して間もなかった私があれこれ始めようとしても、普通なら社員はついてこなかったと思います。そんななか先々代の頃から番頭役だった人が、「まず私に相談してくれ、専務が考える方向に進めるよう、私から社員に話す」と間に入ってくれたおかげです。本当にありがたかった。
入社3年後に社長就任してから、一番大変だったことはなんですか。
やはり新型コロナの感染拡大ですね。90%の売り上げダウンは想像を超えていました。一度に750万円分ぐらいのお菓子を廃棄したこともありました。あれは本当につらかった。ただ助け舟もあって、地場のスーパーで賞味期限間近のお菓子を売らせていただいたり、JRが駅構内の良い場所に販売コーナーを設けてくださったり、ご協力いただきました。
また、きび団子を製造するメーカーなどと協力して、在宅勤務のランチ代わりにつまんでもらうことをコンセプトにした「ももたろうのおひるごはん」という新商品を開発したりして、何とか乗り越えたというところです。
自社ブランドの取り組みを進めていますね。
コロナが沈静化しても、講演会とか学会はオンラインでこと足りますし、出張も減りお土産を買う人の絶対数が減少して、市場は元には戻らないだろうと考えました。そのため、売上額より利益率を重視する方針に舵を切り、付加価値の高いオリジナルの商品を求めたんです。それが自社ブランド「晴れの路ブランド」につながりました。
「晴れの路ブランド」は、地元の素材の生産者や菓子メーカーと協働し、当社はパッケージなどの企画と販売に注力する、いわばオール岡山で開発するPB(プライベートブランド)商品で、「お土産から手土産へ」を大きなコンセプトにしています。県外の方が持ち帰る〝お土産〟ではなく、地元の方が親しい方に贈りたいと思える魅力的な〝手土産〟を目指しました。チーズケーキやショコラなどを、パッケージにもこだわってラインナップしています。
当社は企画力が強みですので、「お菓子一つ一つに服を着せるように」というイメージで個包装までデザインし、箱詰めは社内で手作業でしています。大量生産ができなくても、数量限定や期間限定での販売も想定して開発に取り組んでいます。
今、力を入れて取り組んでいることはなんでしょうか。
番田芋を使ったPB商品です。番田芋は、玉野市の番田地区で栽培されているサツマイモですが、この地区特有の水はけのいい土壌と、塩分を含んだ潮風が甘味の強い芋を育ててくれます。知名度は今ひとつですが、番田芋のおいしさを伝えたいという生産者の思いに触れて、是非これを商品化したいと思いました。
最初に作ったのが、強い甘みとねっとりとした食感を生かしたスイートポテトです。土産菓子には一定の賞味期間が必要ですが、その上でいかにして番田芋の新鮮な旨味を引き出すか、地元の菓子メーカーなどと協議を重ねて開発していきました。その甲斐あって、JRで2年に1度開催している「地域を届ける。せとうちおみやげグランプリ」で入賞することができました。
番田芋の生産者、地元大学生とともに新商品開発と生産物ロス0%のプロジェクトに取り組んだ
番田芋については、岡山商科大学の学生さんたちと一緒に、新商品開発と生産物のロス0%を目指したプロジェクトも進めてきました。生産者から番田芋を全量買い取り、用途ごとに製餡会社と菓子メーカーに販売し、それぞれが商品を製造します。出来た商品は当社が買い戻して販売します。また、規格外の芋は酒造メーカーで焼酎にしてもらい、廃液は肥料として利用する取り組みです。
ここから生まれたのが「番田芋フロランタン」という洋菓子です。地域の隠れた名産品に光を当てる取り組みとしても高く評価されて、直近の「おみやげグランプリ」でグランプリをいただき、今年6月から販売を開始したところです。 様々な商品で番田芋の知名度を上げて、少なくなった生産者を増やすことに貢献できればと思っています
「おみやげグランプリ」でグランプリを受賞した「番田芋フロランタン」。岡山駅など12店舗で販売中
今後はどんな会社を目指していくのでしょうか。
土産菓子の業界にもトレンドがあって、先端を行っているのは北海道でしょう。そうした動向も参考にしながら常にブラッシュアップして、チャレンジすることを怖がらず、変化に順応していける会社でありたいと思っています。社員にも変化を楽しめる人であってほしいですね。
企画力はうちの肝ですのでここを更に強化し、地元のおいしいものを消費者に届けるために、生産者の方や菓子メーカーの方とのパートナーシップで、ともに成長していきたいと思っています。
冨山 明寿(とみやま・あきひさ)
昭和48年生まれ。駒澤大学経済学部卒業。伊藤忠
系列のシステム会社を経て、平成15年、小倉産業
㈱入社、平成18年4月に代表取締役社長就任。経
営者としての信条は、「変化を恐れては、成長はあ
りえない。変化に対応し続けなければ、恐竜にな
る」
本 社 岡山市中区原尾島2-7-11
事業内容 土産品の企画・加工・卸売小売業
代表者 冨山 明寿 代表取締役社長
設 立 昭和29年2月
資本金 3,400万円