トップの羅針盤2026年2月号

現在の保育事業の原点はベビーシッター業だそうですね。
創業者の父が会社員だった頃は、女性が結婚や子育てを理由に退職するのが当たり前だったそうです。「子どもは家庭で育てるもの」という価値観が強く、保育園も女性の就労支援の役割を十分には果たしていませんでした。
父はそんな状況のなかで会社を辞め、岡山でベビーシッター業を始めました。ただ当時はお金を払って子どもを自宅で見てもらうことに抵抗感を持つ人も多かったそうです。
私が幼少期から高校卒業までは、自宅が言わば〝おうち保育園〟のような感じで、いつも誰かしらの子どもが家にいました。一緒に遊んであげるお兄ちゃん役のような感じでしたが、正直うるさいなと感じることもありましたね。でも、今にして思えば自分のルーツはこの頃の体験にあったんだと思います。
なぜお父様の会社に入社されたのですか?
父の事業には関心がなく、大学卒業後は岡山の地場の小売業に入社しました。地域の方々の生活に直接関わり貢献できる点に魅力とやりがいを感じていました。株式上場していて活気がありましたし、いずれ自分も起業したら地域に役立つ仕事をして、上場を目指したいという思いも持っていました。
そうしたなか、平成25年頃から待機児童問題が注目されるようになりました。私たち世代が結婚・出産する年齢になっていた頃です。同級生から「子どもの預け場所がない」という話を聞くようになり、この問題を身近に感じるようになりました。
当時、二つの認可外保育園を運営していた父に「なぜ保育園を増やさないのか」と尋ねると、「認可外は収益面で厳しく、作りたくても作れない」という現実を知らされました。
待機児童の問題がこれだけ深刻なら、儲からないかもしれないが、地域の課題を解決するために貢献したい、と使命感のようなものがこの時芽生えたんです。
父からは「まだお前の給料は払えないぞ」と言われましたが、「無給でもいいからやらせてほしい」と直訴して、私の保育人生がスタートしました。
入社初日の挨拶で「施設を増やして岡山市で一番有名な保育園にする」と宣言しましたが、当時は誰も本気にしていなかったと思いますね。
入社当時はどのような経営状況だったのですか?
保育園2園のうち、1園は50名の定員に対して利用者は約30名、もう1園は100名の定員に対して約5名という状況でした。保育士の月給は最低水準の15万円ほどでしたから人手も集まりにくく、経営は厳しかったと思います。
私がまず取り組んだのは、イオンモール岡山での保育園の開設でした。本来であれば私どもが入居できるような案件ではなかったのですが、ダメ元で当時のイオン準備室に直談判させていただきました。イオンに合わせて365日営業、営業時間も最大22時までとし、来店客も一時預かりを利用できるようにして、徹底した利用者目線での運営を提案したことに共感してくださり、開設することができました。
子育て中の従業員の方々が働きやすくなるよう、7時開園という対応を取ったこともあって定員を満たすことができ、約2か月で黒字転換もできました。
しかし一方で、勤務時間については保育士の不満も多く、とにかく人の配置には苦労しました。私が7時から22時まで働く背中を見てもらいながらの日々でしたね。最初の3年ぐらいは利益もぎりぎりで休みなく働きましたが、この経験がその後の大きな糧となりました。
その後、どのように事業を拡大していったのでしょうか?
平成28年、保育事業に補助金や税制の優遇が受けられる国の支援制度がスタートしました。まさに私たちに「風が吹いた」のです。ここがチャレンジする好機と覚悟を決め、銀行から融資も受けて平成28年から4年間に毎年1園ずつ、令和3年には一気に9園を開園しました。
ただ、施設増加にともなう人材の確保については試行錯誤の連続でした。人員に余裕のない施設が多いため、急な欠勤の際には応援にも入れるチューターを本社に置く仕組みをつくり、子育て中の保育士の方にも働きやすい環境をつくりました。
持ち帰り残業も禁止し、仕事は園内で完結させて、きちんと残業代を支払う体制を早くから整えています。また、自社で設計したシステムで手書き業務を減らし、スマートフォンで保護者との連絡ができるようにもしました。これは令和3年頃には全園で運用しています。
事務作業に追われて子どもと関われないことは、保育士にとってのやりがいを損ねることにもなります。子どもと触れ合える環境づくりに、保育士の皆さんも共感してくれているのかもしれません。

「第2のおうち」を保育理念として掲げ、子どもたちが自分の家と同じようにゆったりとした気持ちで過ごす場所を提供している
現在はどのようなことに力を入れていますか?
今は学童保育に対するニーズが高まっています。イオンモール倉敷、岡山では保育園に学童保育も併設していますし、倉敷市の小学校では250名規模の学童クラブも運営しています。岡山市の学童事業にも早期に参入し、現在は認定放課後児童クラブを4か所開設しています。
都市部では地域のコミュニティが弱まっていて、子育ての孤立化が進んでいますので、単に預かるだけではなく、子育て世代に情報発信し、悩みを解決していくお手伝いにも努めているところです。
最近では、既存の企業主導型保育所の受託の相談を多く頂いています。また、補助金を活用せずとも保育所を設置することで、採用力や福利厚生を向上したい企業様の支援をさせていただいています。

民設民営の放課後児童クラブ「ぽすとめいとクラブ」は、現在、平井、鹿田、伊島、大元の4か所を運営
今後のビジョンを教えてください。
令和3年に持ち株会社を設立し、関連企業3社を子会社化しました。令和6年12月には東京プロマーケットに上場でき、今後はより高いステージに上場することを目指しています。
岡山市では学童保育の待機児童という新たな問題があります。一日も早く解消できるよう企業として貢献したいと思っています。父から受け取ったバトンを、より良い形で次の世代に引き継いでいくため、「第2のおうち」として家庭的なアプローチで事業を続けていきます。しっかり我が社の強みを磨き、私自身は常にチャレンジャーとして、岡山の子育てを支えるため積極的に地域に関わっていきたいと思っています。

鈴村 淳(すずむら・じゅん)
昭和62年生まれ。神戸学院大学経営学部卒業。平成26年、㈱マイスタイル入社。平成28年、㈱マイスタイル取締役就任。平成31年、㈱アイムファイン取締役就任。令和3年11月、㈱マイスタイル代表取締役および㈱ぽすとめいとホールディングス代表取締役社長CEO就任、現任に至る。創業者である父から「みなさまの笑顔が見たいから “For the Customers”」 という経営理念を引き継ぎ、保育事業で挑戦を続ける
本 社 岡山市北区厚生町3丁目1-15 岡山商工会議所ビル2階
事業内容 保育事業(認可保育園、企業主導型保育園、認可外保育園等)、ビルメンテナンス事業、コンサルティング事業、不動産事業
創 業 令和3年(2021年)
資本金 4,750万円
