トップの羅針盤 第22回 ㈱ウッディヨネダ 代表取締役社長 米田 光雄 氏

トップの羅針盤2026年8月号

大学卒業後、1年間の就職浪人を経て大阪の木材会社に就職されました。当時の経緯と学びを教えてください。

 私が大学4年の頃は、木材不況の真っただ中でした。決まっていた就職先から、11月に突然断られてしまったのです。卒業後すぐに実家へ戻る道もありましたが、外で勉強することも必要だと考え、1年間専門学校に通いながら就職浪人をし、父の縁で大阪の木材会社にお世話になりました。入社当初は、杉もヒノキも分からない状態でした。社長宅の隣に下宿させていただき、温かい環境の中で基礎を学べたことには、今でも感謝しています。仕事は、トラックに木材を積み込み、道幅の狭い大阪の街を抜けて現場へ配達する毎日でした。その中で、木の扱い方や安全な作業手順を教わりました。岡山に戻れば私はオーナーの息子です。だからこそ、一社員として働いたことで、立場が違えば人との接し方や周囲の見え方も変わることを身をもって学び、大きな教訓となりました。

どのようなきっかけで岡山に戻られたのですか?

 本来は5年ほど勤める予定でしたが、父から「プレカット協同組合をつくるので帰ってこい」と突然呼び戻され、2年足らずで岡山に戻り、家業に入りました。ところが戻ってみると、プレカット事業は父たちが中心となって進めており、台湾ヒノキの輸入といった当時の主要業務も父と専務が担っていました。私には、任される仕事も、手取り足取り教えてくれる先輩もいないような状況でした。当時は「先輩の背中を見て覚えろ」という時代です。見よう見まねで工務店を回り、自ら新規開拓して販売先を広げ、売れた木材を自分で配達することを繰り返しました。もがき苦しむ日々でしたが、自分の足で売り先を開拓し、仕事をつくっていく営業の楽しさを知る原点にもなりました。

経営者としての視点を持つようになった転機は何だったのでしょうか?

 大きく2つあります。1つは30歳の頃、当社が西大寺会陽の「祝主」になり、私が段取りを任されたことです。私はそれまで本番に参加したこともなく、何をすべきか分からない状態からのスタートでした。お披露目の会をはじめ、三百人の参加者の招集、宝木を納める福受会場の準備、テレビ特番などのマスコミ対応まで、多くの方に教わりながら進めました。当日、宝木が届いたのは深夜2時を過ぎていたと思います。初めてづくしでしたが、皆さんの協力で無事に終えることができ、「やればできる」という自信につながりました。
 もう1つは40代前半の頃、原木の卸をしていた親戚の会社が倒産し、その影響で当社が3億円ほどの負債を背負ったときです。毎日、資金繰り表を作っては銀行に足を運び、周囲の協力も得ながら、なんとか支援を取り付けました。しかし本当に恐ろしかったのは「噂」でした。「あそこはもう危ない」という話が広がり、急に木材を売ってもらえなくなったのです。売り先は開拓できますが、材木屋は木を仕入れられなければ商売になりません。負債ではなく、噂に潰されそうになりました。そんな中、「無制限で売ってあげるよ」と応援してくださった会社もありました。危機の時こそ相手の本当の姿が見える。だからこそ、日頃から取引先との信頼を高める商売をしなければならないと痛感しました。同時に印象に残っているのが、父の姿です。当時の父は、いつもと変わらず食事をし、ぐっすり眠っていました。危機にあっても平常心を保つことの大切さを、父の姿からも学びました。

国内だけでなく、中国からの輸入事業にもご自身で切り込んでいかれましたね。

 父の代から台湾ヒノキの輸入を手がけていましたが、平成2年以降に伐採が禁止され、輸入先を中国へシフトしました。当時の中国取引は、悪い商品をつかまされるリスクが高く、大手商社ですら避けるような時代でした。それでも私は、逆にチャンスだと捉えました。中国の工場では、日本のしがらみや会社の規模は関係なく、「たくさん買ってくれる相手が一番いいお客さんだ」というフラットな考え方があり、そこに魅力を感じたのです。だまされることもありましたが、そうした相手とは二度と商売をしない。その繰り返しの中で自然と取引先は淘汰され、信用できる会社だけが残っていきました。リスクを恐れず現地へ足を運び、良質な関係を築いていく。そこに、商売の醍醐味を感じました。

社長就任後、新たな取り組みを進められています。

 以前は工務店や大工さん向けの展示会を年2回開いていましたが、参加者が減り、一般の方に木に触れて親しみを持ってもらう「木材ふれあい祭り」へ切り替えました。商売というより木の魅力を知っていただくための取り組みです。現在も社員の提案で内容を見直しながら、秋に年1回開催しています。
 また、木造建築の文化を残すため、大工として身に着けるべき技術を学び、継承する「ROAD TO 匠」を始めました。現在は、工場で木材をあらかじめ加工するプレカットが主流となり、大工さんが自ら墨付けをし、木材を刻む技術が伝わりにくくなっています。しかし材木屋は、木材をきちんと扱える大工さんがいてこそ成り立つ仕事です。そこで、建築士の資格を持つ工務店の社長、技術力の高い大工さん、そして私の3者で、大工の伝統技術を伝える勉強会を立ち上げました。今では遠方や海外からも参加者が訪れ、約30人の大工さんが登録しています。この伝統技術が倉敷美観地区の古民家復元事業にもつながり、学びを実践する機会が生まれたことは、嬉しい成果です。

材木倉庫を開放して開催する地域交流イベント「木材ふれあい祭り」では、木のぬくもりや香りに触れながら、五感で楽しむ“ 木育”の機会を提供

住宅着工数が減るなか、今後のビジョンをどうお考えですか?

 住宅の建設数はピーク時から半減し、今後も減少が見込まれる大変厳しい状況です。木材・建材販売が当社の柱であることは変わりませんが、平成29年頃から木工加工機械を導入し、窓枠などの部材製作やネット販売に力を入れています。あわせて不動産事業にも注力し、多角化を進めています。厳しい環境の中で会社が生き残るには、時代に合わせて変化し続けることが不可欠です。当社では「まずは一度やってみる」という姿勢を大切にし、社員の自発的なアイデアを積極的に採用しています。挑戦を重ね、良いものを会社に残していく。その積み重ねが、次の力になると考えています。
 私の好きな言葉に、夏目漱石が芥川龍之介らに宛てた手紙の中で記した「むやみに焦ってはいけません。ただ、牛のように図々しく進んでいくのが大事です」という一節があります。厳しい時代だからこそ自分たちの力を信じ、一歩ずつ前へ進むことが重要です。これからもチャレンジし、変化し続ける明るい会社を目指していきます。そして社員一人ひとりには、「木のことならどこにも負けないスペシャリスト」へ成長してほしい。当社の理念である「温かい木に囲まれた暮らしづくり」を、これからも皆様に提供し続けていきたいと思います。

社員の半数以上を女性が占める同社では、重い木材を扱う現場でも女性が活躍できるよう作業環境の整備や機械導入を進め、伝統ある材木店に新たな活気をもたらしている

米田 光雄(よねだ・みつお)
昭和36年生まれ。駒沢大学卒業。昭和59年、㈲米田材木店(現 ㈱ウッディヨネダ)入社。平成17年、同社代表取締役社長就任。当所西大寺地域活性化委員長として、まち並み整備や地域資源を活かした地域振興の推進にも尽力している

本 社  岡山市東区金岡西町55-2
事業内容 木材・建材販売、木工加工製品の製造・販売、不動産事業、ネット販売事業
創 業  明治40年
資本金  8,000万円

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