延原さんはどんな経緯で入社されたのですか。
当社は私の父が昭和44年にトラック数台で始めて、三菱自動車や三菱農機の荷物を運んでいました。当時は平ボディ車など小型・中型の車両ばかりでしたが、徐々に大型車に切り替わり、ウイング車などの導入も進め、現在ではグループで約70台のトラックを保有しています。
私は高校卒業後、専門学校で会計を学び、損保会社で2年間営業職をした後、昭和62年に入社しました。思えば、大きなトラックを運転したいという気持ちは幼い頃からあって、小学校の卒業文集にはト
ラックで全国を走り回りたいと書いたような気がしますね。
入社した頃はバブル景気の真っ只中で、仕事はハードでした。運転手や配車係を計10年近くやって、そのあと専務取締役として会社を運営する立場になりました。
岡山城や西大寺会陽などのデザインを施したラッピングトラックを走らせ、岡山の魅力を全国に届ける
社長に就任される前の会社はどんな状況だったのですか。
かつて当社のドライバーのほぼ全員が外部の労働組合に加入し、「新光運輸支部」として活動を始めたことがありました。当時は私も労働法の知識が十分でなく、至らないことも多かったのでしょう。こん
な会社は最悪だと訴訟を起こされ、会社の存続が危ぶまれる事態となりました。
労働問題の専門家に学び団体交渉に当たっていたのですが、対応に苦慮していたところ、ある従業員が「僕らは会社を潰そうなんて思っていない。ただ話を聞いてくれる窓口が欲しかったんだ」と言ってくれたんです。その言葉に、対立ではなく対話が必要だと気づかされました。彼らを中心に社内労組が結成され、そこから状況は好転し始めました。こんな小さな会社ですがうちに労働組合があるのはこうした経緯なのです。
大事なことは組合と話し合って決め、労働環境を整備し給与体系を明確にして、みんなが理解できる形に変えていきました。この経験は、社長就任後の会社の土台作りにおいて大きな教訓になりました。
社長就任後に大きなピンチもあったそうですが、そこでどんな工夫をされたのですか。
当時は荷主の自動車メーカーの生産が好調で部品輸送の仕事は安定していましたが、私の社長就任の翌年にリーマンショックが起こり、多くの荷主の工場が停止して売上が半分ぐらいになってしまったんです。
売上不振が1年か2年か続き、会社を立て直すために、一般消費者向けの日用品や食料品など今まで経験のない分野で取り扱い貨物の多様化を決断しました。
取り扱う幅を広げれば、お盆や正月など自動車関係の工場が休みになる時期も仕事ができ、売上が増加すれば従業員の給料が減ることを抑えることもできます。
ただ、貨物の種類を変えるとなれば、業界の事情や運搬の注意点など基礎から勉強しなければなりませんし、そもそもトラックを変える必要もある。積み下ろしもフォークリフトではなく手作業でやら
ねばならない場合もあって、ドライバーの負担も増しました。それを理由に辞めてしまった従業員もいます。
そうした状況のなかで、不手際をお客様から叱られながらも、根気強く改善を重ねてノウハウを得て、少しずつ仕事をいただけるようになりました。今ではお客様から「新光運輸はオールラウンドに仕事を頼める」と重宝していただいています。
今日があるのはお客様に恵まれ、従業員がそれぞれの立場で辛抱してくれたお陰です。いつ何時、何があるか分からないというリスク分散の考え方も鍛えられました。
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トラックドライバーの時間外労働時間の上限が年960時間に制限されました。この問題への対応はいかがですか。
4、5年前から「2024年問題」が取り沙汰されてきましたが、当時うちは皆の意識も低く、全く対応できいなかったんです。そこで、スタッフの一人を専任の運行管理者として配置し、法改正の課題などを勉強してもらいました。
また、GPSを活用したデジタルタコグラフを全車に導入し運行状況を可視化することで、どのように時間外労働が発生しているのかを把握していきました。これを使うと時速何㎞で何時間走行したか、どこで休憩したかなども詳細に分かります。
そのうえで、時間外労働が起こっているドライバー一人一人と毎週話し合いを続け、原因はドライバーにあるのか、会社の指示にあるのか、それとも他にあるのかを探っていきました。
スケジュール管理の徹底には時間がかかりましたが、徐々に成果を挙げてきたと思います。2024年問題への取り組みは、結果として当社の労務管理や安全運行に良い影響をもたらしています。
一方で、時間外労働の発生は、荷物の積み込み・積み下ろし作業の時間も影響してきますので、発着両方の荷主企業様にもご協力いただくことが重要です。また、労働時間の短縮のために高速道路の利用を認めていただかなければならない場合もあります。
ただ、荷主企業様も近年の様々なコストアップで大変厳しい経営環境にあります。こうしたご相談は大変難しいことですが、お客様の大事な荷物を確実にお届けするため粘り強くお願いし、ご理解をいただいてきました。長年のお取引のなかで培ってきた信頼感が、それを後押ししてくれたのではと思っています。
今後はどのような会社を目指していくのでしょうか。
やはり人手不足は否めず、大型免許取得の費用を全額援助するなど色々と手を打ってはいますがなかなか解消には至っていません。
しかし私たち運送屋は物を運んでなんぼ、という商売です。お客様の大事な荷物をお預かりして、それを約束の時間に無事に届けるというのが当たり前。人手不足を言い訳にはできません。
ただ、天候や道路の渋滞・事故など運行を妨げる要因はたくさんあり、「当たり前」が実は大変難しいとも感じています。お客様から「さすが新光さんだ」と信頼してもらえるように、その「当たり前」のことに日々努めていきたいと考えています。
私に課せられた仕事は、リーマンショックのような環境の激変や、2024年問題のような法制度の大転換など、時代の変化や流れに呼応して、軌道修正もしながら会社の土台を着実に築き上げることです。そして少しでも地域貢献できる、地域に根差した運送会社として成長していきたいですね。
延原 寛紀(のぶはら・ひろき)
昭和39年生まれ。東京会計専門学校卒業。保険会社を経て、昭和62年新光運輸㈱入社、平成19年5月代表取締役就任。経営者として、小さなところまで良い仕事ぶりがピリッと印象に残る「山椒」のような会社を目指す
本 社 岡山市東区西大寺川口488-1
事業内容 一般貨物自動車運送事業、貨物利用運送事業、一般倉庫 業、産業廃棄物収集運搬業、損害保険代理店業、各種業務請負業
設 立 昭和44年1月
資本金 1,000万円