
どういった経緯で自動車メーカーのマツダに入社されたのですか?
私は広島県三原市出身なんですが、親の希望もあって地元で就職を考えていました。広島と言えば東洋工業㈱(現・マツダ㈱)、ということで企業選びをしたような次第です。実は特に自動車が好きだったわけでもないんですよ。
ただ、学生の頃から「経営」というものに関心が強くて、そうした仕事をやってみたいという気持ちがありました。東洋工業の仕事には、ディーラー経営というのがあって、これだと希望が叶うかもしれないとも思いましたね。
入社後は国内販売本部に所属して、担当地区のディーラーに対する販売促進、経営改善、イメージ戦略などの指導に携わりました。30代後半には宣伝業務も担当し、この時得た知識は後々コマーシャルを作る上で役立ちました。
その後、神戸や千葉などのディーラーで出向勤務を重ねて、初めて経営者として山梨に出向したのが42歳の時でした。社長として様々な苦労をしましたが、そうした経験の集大成となったのがここ岡山です。

店舗ごとに個性豊かな演出を施す。定期的にイベントを行い、お客様だけでなく、スタッフも愉しめる空間に
当時、会社はどんな状況だったのでしょうか?
平成19年に代表権のある副社長に就任したのですが、その前年に、前身の岡山マツダ自動車㈱は同じくマツダ系ディーラーの㈱マツダアンフィニ岡山を吸収合併し、㈱岡山マツダとなっていました。
けれども旧岡山マツダ自動車は割と大らかで自由な社風、一方の旧アンフィニ岡山はどちらかと言えば生真面目な社風で、企業文化としては水と油のようでした。朝礼も2つに分かれてやっていて、モラルの低下からか挨拶はおざなりで掃除も行き届いていない。販売促進のためのチャネル統合という経営革新であったはずが、一体感の欠如がかえって業績の低迷を招いていたように感じました。正直、これはちょっと大変だと思いましたね。
それでも、少なくともお客様に気持ちよくお越しいただけるような会社にしなければと、まずは掃除から始めたんです。挨拶をしても誰も挨拶を返さないような中でひとり黙々とモップがけをしていました。になりました。
そこからどのように立て直していかれたのでしょうか?
年齢的にも岡山に骨を埋める覚悟で就任しましたので、悔いのないよう思い切ってやろうと決めていました。最優先で取り組んだのは、社員の心を一つにすることです。
どうすれば水と油を融合させられるか。考え至ったのが野球部をつくることだったんです。社内には野球好きがたくさんいましたので、とにかく私のイズムみたいなものを、野球部を通じて社内に広めていこうと考えました。
練習で共に汗を流し、試合にも一緒に出ました。飲みに行ったり、合宿をしたり。ただそうした中で、経営理念や自分たちのありたい姿、仕事への姿勢や礼儀の大切さなどを地道に伝えていきました。「付き合ってよかったとお客様から思われる会社にしたいね」とも言い続けました。
これは私にとっては大きな挑戦で、会社の雰囲気を変えるために必死でやりましたね。すると、野球で岡山有数の社会人チームに成長するにつれて、職場でもハツラツと挨拶できる、シャキッとした雰囲気が生まれました。野球部以外の社員も感化されて、役員たちも注目するようになりました。
それが徐々に組織風土に浸透して、業績にも変化が顕れました。新規のお客様を獲得し売上数字を積み上げ、マツダ系列の販売会社を表彰する制度で、経営優秀賞をいただくまでになったんです。
スポーツを軸に社員の質を高めていく取り組みによって、ようやくメーカーからも、地元の皆様からも認めてもらえる会社になったと思います。その後、経営優秀賞を10年連続でいただけたこともその証しではないでしょうか。

スポーツの力で社員の意識を改革。絆と礼節を育む「オカマツ軟式野球部」を創設
その後はどのような展開を考えられたのですか?
私のベンチマークになったのが高知県のディーラーです。しかも別の完成車メーカーの系列だったのですが、社員みんなが自主的にイベントを企画して、自分たちの店をより良くしようと真剣に取り組んでいる姿にすごく感銘を受けたんです。ここから、岡山マツダの独自性を打ち出していく次のステップに入り、各店舗のショールームを次々と刷新していきました。
特に野田店では、他の販売会社では決してやっていないことにあえて挑戦していきました。備中神楽など郷土芸能やピアノのコンサート、〝Café岡マツ〟の併設、フラワーアレンジメント教室などを社員の提案も受けて実施しています。お客様との会話が増えるでしょうし、地域を知っていただく機会にもなると思うんです。
去年8月にリニューアルした中古車販売店では、マツダの名車と呼ばれるロードスターを全国のどの店舗よりも多く並べ、画家にロードスターを描いてもらって店内に飾ったりもしました。大きな反響をいただきましたね。
仕事は決して画一的であってはいけません。これでいいと思ってもさらに一歩踏み込んでみる。またそこで違う景色が見えてくるということがあるので、〝もう一歩の工夫〟を貪欲に追求することが大事だと思っています。
これからの展望をどのように考えていますか?
お客様にご満足いただくことが何よりで、「貴方がいるからマツダの車を買う」という言葉をいただく以上の喜びはありません。しかし、人口も減っていますし自動車の販売台数はこれから減少していくでしょう。
その一方で、車はより高級化しつつあり、1人の社員が独力で販売するのは難しくなってきています。みんなが共に信頼しあい助けあいながらやっていく、そういう組織作りが必要で、3年ぐらい前からチーム営業を始めています。チームで研鑽しあう中で、人としての強さや、理不尽にも負けない気持ちを身に付けてほしいですね。
「やんちゃでええんじゃ!」というCMは、実は社員へのメッセージでもあるんです。自分の気持ちを素直に出して、もっと殻を破って思い切ってチャレンジしてごらんという思いを込めたものです。殻を破るというのはそう簡単なことではありませんが、社員一人ひとりが輝き能力を発揮し、人としての姿勢や礼儀を忘れず、岡山マツダのブランドや看板をつけて歩いているような、そんな会社になることが私の夢です。

幸野 源(こうの・はじめ)
昭和31年生まれ。武蔵大学経済学部卒業。昭和55年東洋工業㈱(現マツダ㈱)入社、㈱山梨マツダ代表取締役社長を経て、平成19年㈱岡山マツダ代表取締役副社長に就任し、平成28年から現職を務める。「やんちゃでええんじゃ」をスローガンに掲げ、「自分の殻を破れ!」という想いを岡山全域に発信する
本 社 岡山市北区野田4-14-20
事業内容 マツダ車の販売・整備、各種中古車販売、板金塗装業務、レンタカー事業、損害保険代理店業務、生命保険代理店業務
設 立 昭和28年7月
資本金 9,000万円