
グループホームの開業に至るまでの経緯を教えてください。
本当に紆余曲折がありましたね。実は商業高校卒業後はホテルのコックの見習いをしていましたが、その後サラリーマンに転職しました。ところが、会社を立ち上げた経験のある父親から「男なら起業ぐらいしてみろ」と言われたんです。早くに亡くなった父には、若気の至りでよく反発もしていましたが、今にして思えば父のこの言葉のおかげで今の自分があると感じます。
平成9年に健康食品を主に扱う会社としてメゾネットを設立しました。しかしノウハウ不足で業績は低迷し、あえなく4年で会社は頓挫しました。苦い経験ですね。その後は東京の司法書士事務所で働いていました。
事業への夢がくすぶっていたところ、転機となったのは、平成12年の介護保険制度の改正から民間企業の介護事業への参入が活発化しつつあったことです。団塊の世代が介護保険を使うことを視野に入れ
「これからは介護だ」との思いを強くし、休眠状態にあったメゾネットを、事業形態を変えて再スタートさせました。
ただ、正直に言うと、介護保険制度で料金がどのように決まるのかということすら分かっていない有り様で、先行きはまるで見通せていなかったと思います。そんな時に介護施設に勤めていた高校時代の友人に再会し、介護保険の仕組みや保険請求の仕方などを必死に学ばせてもらい、ようやく平成15年に施設の運営を始めました。

平成9年に設立し、現在では県内7か所にグループホームやデイサービスなどの施設を展開している
新たな挑戦はいかがでしたか?
最初の施設となる長船町のグループホーム「星の家」は、定員27床のところに3人しか利用者がなく、PRにも努めたのですがこの状況が半年間続きました。当時は「親の世話は子供がするものだ」という風潮がありましたし、「痴呆」という言葉が「認知症」に変わったばかりの頃で、認知症専門の施設に対するイメージが悪かったことも一因だと思います。
運転資金を新たに借り、人件費を浮かせるために自分は夜勤にも入りました。当時の私の給料は5万円ほどで、休みもなしにとにかくがむしゃらに働き続けました。施設を増やしたい、会社を大きくしたいという思いがあり、未来に希望が持てたからこそ続いたんでしょうね。
ケアマネージャーをはじめ多くの方々のアドバイスのおかげでようやく半年後ぐらいから利用者が増え始めました。それとともに、お年寄りの昔話を聞いたりする中で、人と人が密接にかかわる介護の仕事に魅力を感じるようになりました。
その後は順調だったように見えますが、実際はどうだったのですか?
平成17年には3つ目の施設の開所にこぎつけたのですが、平成20年ごろから施設認可の要件が緩和され、グループホーム経営の競争が激化しました。また、職員も80人程度までに増え、人数が増えると小さなもめごとが次々と起こるようになってきました。様々な訴えが私のところに届くようになり、精神的にもかなり参っていました。そうした時に、古くからの知人が当社に入社してくれたんですが、彼は昔から人と人との間を取り持つことが得意で、彼に現場を任せてみたところ、とても施設がスムーズに運営できるようになったんです。私も精神的なつらさから解放されました。
これを機に、現場と経営側との立ち位置を明確に分ける方針に転換をしました。私は現場の実務には口出しをせず、現場の声を聞きながら経営に専念する、という線引きをしたことでその後の施設運営が順調に進み、新たな施設も増やせるようになりました。経営が次のステップに進む転換点でした。

「モンテッソーリケア」に関する本を2冊出版。認知症ケアに関心を持つご家族や介護分野で働く方に向けて、「モンテッソーリケア」の具体的な介護方法や効果を伝える
和氣さんが始められた「モンテッソーリケア」とはどういうものでしょうか?
きっかけは「モンテッソーリ教育」に出会ったことです。子どもの自立心や可能性を引き出す教育法で、私の長男の幼稚園で実践されていました。子どもたちは行動制限や集団行動を強要されず、自分のやりたいことを自由にやれる環境の中で、とても高い集中力を養っていることに感銘を受けました。
当時私は、施設運営の中で様々な疑問を持っていました。自宅では普通に使っているはさみや包丁が、施設では利用者が活動する場所には置いていないこと、食事やお風呂の時間は利用者本位ではなく職員の業務時間で決まってしまっていることなど、施設側の都合で利用者の自由が制限され、利用者が持つ可能性が阻害されているのではないか。
利用者が「させられている」のではなく、利用者がもっと自由に「やりたいことを選択できる」施設になるために、「モンテッソーリ教育」という考え方が、そのまま転用できると考えたんです。
利用者の能力を最大限に発揮できるように、職員がむやみに声掛けはせず忍耐強く待ち、利用者がやりたいことができる環境をつくることを心掛けました。人を預かるという責任がありますから、職員には高い観察力も必要になりますが、結果として自発的に行動する利用者が増えたと感じています。
私はこの経験から「モンテッソーリケア」という造語を作り、モンテッソーリケア協会を立ち上げました。今では北海道から九州まで、介護施設でこの考え方が広がり始めていて、海外からも見学者が訪れるようになっています。介護業界での取り組みを、本家のモンテッソーリ協会の全国大会で発表したり、本にまとめて出版したりもしてきました。
今後の介護業界をどうご覧になっていますか。また、起業して間もない方たちに対してアドバイスはありますか?
私たちの仕事は利用者の定員が決まっており、介護報酬が上がらない中で物価や人件費が高騰していて、業界は今までにない厳しい時代に入っていくと感じています。当社は認知症の方を対象にした施設として地域で徐々に知られてきましたが、さらに特徴を持った選ばれる施設にならないといけないと考えています。
私は破天荒だと言われることもあって、年配の先輩方からはよく叱られもしましたが、こうした時代を乗り切るためにも、リスクを過度に恐れず、新たな挑戦を続けていくことが大事だと思います。
介護業界はまだ歴史が浅く、介護方法が確立されているとは言えません。「モンテッソーリケア」のパイオニアとしての自負も持って、業界の発展に貢献していきたいですね。

和氣 伸吉(わけ・のぶよし)
昭和50年生まれ。岡山県立岡山東商業高等学校卒
業。平成9年㈱メゾネットを設立。平成14年代表取
締役に就任。「モンテッソーリ教育」と認知症ケア
を組み合わた「モンテッソーリケア」を実践し、利
用者が生き生きと毎日を過ごすことができる環境
を提供する
本 社 岡山市北区奥田2-5-20
事業内容 介護保険法による介護事業所の運営(認知症対応型共同生活介護、認知症対応型通所介護、通所介護、居宅介護支援)
設 立 平成9年10月
資本金 3,500万円