トップの羅針盤 第16回 山陽ヤナセ㈱ 代表取締役社長 黒瀨 仁志 氏

トップの羅針盤2025年11月号

大学ご卒業後、東京の㈱ヤナセに入社された経緯をお聞かせください。

 実は山陽ヤナセ㈱を経営していた父からは、「後を継がなくていい」と言われていました。これといってやりたいことがなかった私は、学生時代に打ち込んだバンド活動の思い出から、漠然とミュージシャンにでもなろうかと考えていたんです。
 そんな折、東京の㈱ヤナセのリクルーターの「外車を扱っているから、お客様には音楽関係のプロデューサーも多いし、きっかけがつかめるじゃないか」という耳打ちを真に受けて、「仕事をしながらチャンスをうかがおう」と考え、㈱ヤナセに入社しました。
 今にして思えば、本音では後継ぎにしたかった父が裏で糸を引いていて、うまくのせられたのだろうと思います。

東京でのご経験はいかがでしたか?

 ㈱ヤナセではメルセデス・ベンツの営業を担当しました。ある時、「代理店の社長の息子さんなら腰掛けだね」と言われたことに少なからずショックを受けて、「よし、じゃあトップセールスになってやろう」と心に決めたんです。
 とにかく人より多く訪問しようと最初の2年間で約1万件、在籍した5年半で合計2万件ほどの飛び込み営業をしました。
 闇雲にやっていたような営業でしたが、数多くの商談を重ねるなかで、じっくりお客様の話を聞いて事情を理解して、お客様にとって真にベストと思える提案をすることがいかに重要かということを、身に染みて理解できたように思います。
 購入される顧客の特徴がだんだん分かってきて、営業が面白くなってきましたね。行動がどう成果に結びつくのか、仮説を立てて実行をして結果を検証するという私の思考パターンも功を奏したんだと思います。
 また、会社の貿易事業部で開催していた英語の勉強会に自費で参加していたことから、外資系企業の案件を担当させてもらうこともできました。
 こうして実績を積み上げるなかで、この仕事のやりがいを心から感じられるようになって、父の経営する山陽ヤナセに入社することを決意しました。

山陽ヤナセに入られてどんなことに取り組まれましたか?

 その頃、当社で年間販売するベンツは約50台で、私が東京で販売していた台数とほぼ同じです。仕事の進め方に大きなギャップがあり、もどかしさを感じていました。私としては自分の成功体験を生かしたかったのですが、強引に進めてはこれまで営業を担当していた人たちとの軋轢を生んでしまう。そこで、営業以外のポジションで会社に貢献しようと、アフターサービスの改善に取り組むことにしました。
 毎月来てくれる㈱ヤナセのアフターサービスの責任者にレクチャーを受け、他県の代理店の担当者にも相談をしながらサービスの勉強をして、学んだことを実行に移していきました。
 例えば、アフターサービスはどこまでメカニック担当者のタイムコントロールができるかで、業務効率が変わってきますので、まずはどんな業務にどれだけ時間がかかっているかを割り出すことに取り組みました。
 すると、メカニックが引き取り納車に出向き、修理工場に誰もいないという状況が生まれていて、肝心なサービスにタイムロスが発生していたことが分かったので、引き取り納車に専任のピッカーを採用するなどロスの発生を最小限にする対策を取りました。こうした取り組みで業務効率はかなり向上していったと思います。

平成15年に社長に就任してから、どのような経営努力をしてこられましたか?

 かつては、フォルクスワーゲン、アウディ、GMといったメーカーも扱い、年間約1,000台、80億円ほどの売り上げがありました。しかし、メーカーの撤退や仕入先の㈱ヤナセの方針もあって、私が社長に就任して間もなく、取り扱いメーカーがメルセデス・ベンツに絞られたんです。
 営業エリアが岡山県内に限られているため、経営規模の縮小を余儀なくされました。きめ細かい営業に努めて、売上は回復してきましたが、それでも販売台数は約400台、顧客数はピーク時の3分の1ぐらいになっています。新車販売だけではもう伸びないというのが現状です。
 ただ当社では人口減少社会も見込み、販売台数や売上額よりも利益額を重視した経営に転換してきました。また、中古車事業を立ち上げ、中四国随一の展示場を構えたことで、もう一つの柱として確立させています。これまで外注していた板金塗装も内製化したことで利益を取り込めるようになりました。保険代理店としての事業にも力を入れ、収益性を着実に上げてきたところです。

今後どんな取り組みをされていきますか?

 当社では令和8年から段階的に県内3店舗を再編し、新車を扱う「メルセデス・ベンツ岡山西」と、認定中古車センター「メルセデス・ベンツ岡山」に機能を集約します。令和10年度には最新のCI(コーポレートアイデンティティ)に準拠した新車販売店がオープン予定で、西日本最大規模のショールームとなり最新の情報を提供していきます。
 地域を代表する旗艦店として、四国や広島など営業エリア以外からも、多くのお客様にご来店いただけると期待しています。お客様にとっては何年かに一度の大きな買い物ですから、品揃えと商品知識が勝負になってきます。付加価値で顧客満足度を高めるビジネスを展開していきたいですね。

メルセデス・ベンツ岡山西の新工場では、空調を完備しメカニックが最適な環境で作業できるよう設備を充実させている

これから目指していくことをお聞かせください。

 父の時代に作った経営理念を基に、社員にとって分かりやすく、具体的な行動につながるよう、山陽ヤナセ三信条、従業員三信条、管理職三信条といった行動規範を作りました。マネージャー会議や朝礼、社内セミナーなど社員が集まる場を利用して、その意義について理解してもらえるよう努めています。
 私の経営者としての信条は「守成」、すでにあるものを引き継いで守っていくというもので、言わば駅伝のランナーと一緒です。前の走者からたすきを引き継いで、一つでも順位を上げて次の走者に渡すことが自分の責任だと思っています。
 72歳で引退することを公言していますが、私には子どもがいません。次に引き継ぐ相手は社員の中にいるのか、身内なのか、M&Aになるのか分かりませんが、それまでの間、お客様に信頼される社員を育て、会社の足腰を強くすることに努めて、次世代に会社のさらなる発展を託したいですね

山陽ヤナセ三信条には、「私たちは、溢れる笑顔、気持ちのいい挨拶、清潔感溢れる身だしなみをもって常にお客様に爽やかな好印象を感じていただく様、精一杯努力します」とある

黒瀨 仁志(くろせ・ひとし)
昭和35年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。昭和58年、㈱ヤナセ入社。昭和63年、山陽ヤナセ㈱取締役社長室長就任。平成15年、同代表取締役社長就任、現在に至る。平成12年度に㈳岡山青年会議所理事長、平成16年から22年までNPO法人バンクオブアーツ理事長

本 社  岡山市東区鉄316
事業内容 輸入自動車の新車及び各種中古自動車の販売、自動車整備部      品・用品の販売、生命保険・損害保険代理業
創 業  昭和23年(1948年)
資本金  9,019万円

一覧へ戻る
TOP
Translate »